茶の湯
今朝6時の山荘の気温 10.8℃、くもり。
昼夜が逆転、不健康な生活を日々送っています。
朝刊の届くのが待ち遠しく、早朝二度三度、ポーチの新聞受けを往復
する日々。いい歳をして、まるで愛しい人からの恋文でも待ちわびてる
ようなふう。
その恋文(朝刊)に目を通していて、遠い記憶がよみがえってきた。
それはタイトルの『千利休・・・』ではなく、下段に小さく載った
「キリスト教の所作に酷似」という短い記事(写真・下)でした。
若いころ愛読していた、旭川の作家・三浦綾子さんの小説に
『千利休とその妻たち』があります。もう40年ほど前の作品
ですが、この記事に酷似した内容の文章がありました。本棚を
探したが見当たらないので、ネットで調べてみますと ───
「・・・何と茶の湯は、キリシタンに似ておるではないかという
ストレートな信長の言葉をはじめ、利休が、司教の掌る儀式を見て、
『ふくささばき(四方さばき)、拭き方』を、『イエズスさまの
十字架で流された血潮を記念してのブドー酒を入れた一つの杯から、
多くの者がひと口ずる順に回し飲みしていた』ということを聞き、
茶の湯(濃茶)に取り入れようとしたという記述。『狭き門より
入れ』という講話から『躙(にじ)り口』を考案したとか・・・」
*
「茶の湯の作法はキリスト教の聖体拝領の影響を受けたのは本当
だと思うようになる。 千宗易(千利休)が堺にいた時代。 堺には
キリシタンの教会があり、高山右近も教会に行ったことがある時代」
*
「・・・、長年お茶会に参加している古参の女性信徒に聞いたら、
聖体拝領と茶道の作法はそっくりだと話してくれた。これに関しては
過去にNHKや朝日新聞も伝えているのでよく知られた情報のようです。
手つきは、茶道そのものの流儀に見える」
───以上、ネットより
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「茶道の道具にナツメやシャクがありますが、
どうも日本的ではない形に見えます」
─── 村人・A