山荘の玄関前ゾナ!

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       今朝7時の山荘の気温 -2℃、晴れ。 積雪:15cm。

     以下の写真は、けさ8時すぎの山荘ポーチ前から窓ガラス越しに
    撮ったもの。一匹のエゾリスが木の枝に止まり、なにやらクルミの
    実らしきものを食べていた。
     「ここは山荘の玄関前ゾナ!」と言っても、我関せずという態度。

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    むかし山荘の周囲には「アリンス」という名の、可愛いエゾリスがおった。
   このエゾリス、その孫か、ひ孫かもしれない。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      「おはよう、爺。そういえば昔、京の色里から迷い込んできた
      ようなエゾリスおったのぉ。 血を受け継いでおるようじゃな」
                           ─── 仙台姫

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           姫と同じで、あまり色っぽくないけどね。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         追悼:『やまばと学園』の「宮城まりこ」さんが
            亡くなられた。いつかはこういう日が来る
            とは思っていたけれど・・。
             いまごろは吉行淳之介さんと再会してる
            だろうか。

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       宮城まり子さんの事を書き込んだ近況報告がたくさんある。
      その中から、2つほどを以下に ───

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

               〈 2005、4/29 〉

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                余談。無駄話です。

 「子供は大人の小型ではない」と言われる。この言葉の背景を再確認する機会があった。
春三月、『ねむの木村』(静岡県・掛川市)に 『ねむの木学園』 の子供たちの描いた絵
を見に行く。ミモザの黄色い花房が枝いっぱいに垂れ下がり、雪柳の白く楚々とした点描
が、学園のベネチアンレッドの瓦の建物のまわりのそこかしこに咲いていました。
 おめ当ての 『ねむの木美術館} は、村の一番奥にある白い小さな建物。すぐまわりを
里山に囲まれ、道沿いには小川が流れ、そんな何気ないごく控えめな場所に静かにあった。
 ここに移転する前の浜岡町に学園があった頃にも一度、子供たちの描いた絵を見たこと
があるので、おおよその予想はしていたが、新しい美術館の扉を開けた瞬間は、ショッキ
ングでありました。
 「どうしてこんな絵が描けるのか?!」。 最初に出合った時の疑問が再びよみがえる。
若い頃、アカデミックな絵を多少学んだことのある者として彼らの絵をそんな目で眺めて
みると、構図といい、バランスといい、あるいは色使いといい、己が学んだものとはおよ
そかけ離れている。ならば自分ならどう描くかと、展示されている一枚を自己流に描き変
えてみる。するとどうだろう。確かにバランスや安定感は増すのだが、これが実につまら
ない絵になる。 オリジナルの絵のもつ力強さや躍動感、生命力が消滅する。 これは一体
どういうことなのか・・。音楽でいう 「不協和音の力強さ」 にどこか符合するものでも
あるのか、あるいは生(き)の凄さなのか。
 何か得体の知れない、人間の根っこの所に向かってドスンと飛び込んでくる子供たちの
絵は、プリミティブではあるけれど、それだけに潔く直截的だ。技巧をこらし計算しつく
された有名美術館の絵画が、なにか薄っぺらく小賢しく、小奇麗に見えてくるのは、ヘソ
曲がりの私だけなのか。
 「表現」 というより、心の奥深い所から、何かを吐き出すという方が適切かもしれない
彼らの絵を見ていると、どこか遠い昔の子供のころの原風景に出会ったような懐かしさと
安らぎを覚える。
 「子供は大人の小型ではない」 という言葉の裏には、子供には、自立した独自の感性と
表現能力があり、大人のそれとは別の次元で存在するという暗号が潜んでいるのかも知れ
ない。
 ピアニストの 「クリストフ・エッシェンバッハ」 がたびたび学園を訪れ、子供たちの
前で演奏したりして心を通わせたと聞く。自分のレコードのジャケットに彼らの描いた絵
を使ったとも聞く。あの透明なピアノの響きの向こうには、学園の子供たちの絵と共鳴し、
重なる部分がきっとあったに違いない。
 帰りの道すがら、南仏風の 『ねむの木学園』 の学舎を遠く望みながら、その中で日々
子供たちと接しておられる宮城まり子さんの優しいまなざしを思い、ご健康を祈った。

    追申 : 『ねむの木学園』 のホームページを開くと、
         宮城まり子さんの次のような言葉が載っていた。

          やさしくね やさしくね
                やさしいことは つよいのよ

                        ─── まり子

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

              〈 2007年 5 月 4日 〉
 
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    今朝の朝日新聞『ひと』に、「ねむの木学園」園長・宮城まり子さんが
    載っていた。お歳が80歳とあり、まだ60代だとばかり思っていたので
    驚いた。 記事の中から、まり子さんの言葉を ───

     『 障害も個性の一つ。 そう思ったから、ちょこっとお手伝いを
     しただけ。 短くて長いねえ ─── 。 40年 』

       ねむの木のこどもたちの作品展が東京で開かれる。

     『 弱い子をいじめる子、自殺を考える子に見てほしいの。
     ねむの木のこどもたちは、大切な命でがんばって描いていま
     すって』

      いつの日か、新聞に訃報記事が載ることもあるんだろうか。
     彼女には、寿命が人の2倍、3倍 あって欲しい。
      「ねむの木の美術館」が新しく建て直されたと聞いた。この
     秋また出稼ぎに行った折には再び訪ねてみたい。 いつまでも
     お元気で、長生きしてほしい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    「おじさん、宮城さん亡くなられたんですね。前にお姉ちゃんと
    一緒に、掛川市の「ねむの木学園」を訪れたことがあります」
                   *
    「子供たちの(いえ私より年上の)生徒たちの描いた数々の絵に
    感動しっぱなしでした。 宮城さん、ご高齢だったんですね」
                         ─── 小姫
 
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      おじさんが子供の頃、TVで『まりっぺ先生(?)』という
     番組がありました。もちろ子供向け番組ですが、いつも観てい
     た記憶があります。
                  *
      大人になり、出稼ぎ先で観た子供たちの絵は感動そのもので
     した。少しばかり絵を学んできたことが、かえって無意味だと
     思えるくらい圧倒的でした。
      まりこ先生がいなくなり、子供たちがかわいそうです。
                  *
     人の命に軽重は無いんだろうけど、無駄に生きているおじさん
    なんかの余命を、みな差し上げたかった。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      「ジイ、無駄に生きてるようでも、無意味ではないんだよ。
     小姫は爺の言葉を、亡き両親の言葉のように受け止めてるん
     だからね」              ─── 仙台姫

Filed under: お便り,動物  タグ: — tomi 09:29
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