夜更けに目が覚めると、鳥の鳴き声が聞こえる。外はまだ暗い。・・あぁナイチンゲール
かも知れない・・と聞き入る。
「小夜鳴き鳥」という和名をもつが、姿をまだ見たことがない。夜中か、まだ薄暗い明け方、
控えめに優し気に鳴き、鳴いている時間もそう長くはない。
ロミオとジュリエットが初めて結ばれた夜、そして明け方。まだ昨夜の余韻が残るベッド
の中で、「もう朝だ!」と目覚めるロミオ。「いいえ、アレはナイチンゲールよ」と傍らで
気だるくささやくジュリエット。好きな場面です。
曇り空の朝、鳥の鳴き声も消え・・、もうしばらく啼いてくれていたらよかったのに・・。
今朝7時の山荘の気温:15℃、くもり~晴れ。
パソコンのディスプレイの上で、猫のシューゴ君が日がな一日寝そべっている。
うらやましいとも思うが、つい可哀そうだとも思ってしまう。彼の人生(ネコ生)
の大半をここで過ごさせてしまうのは無慈悲だ。
猫も己の生涯を振り返ることがあるんだろうか。山荘に来たときの喜び、そして
悲しみ、もちろんあっただろう。どこかで妥協して生きているんだろうけど・・。
*
一昨日から、五輪真弓さん(?)の歌う曲を捜している。もう頭がかなり呆けて
しまい、曲名はおろか、歌詞も細切れにしか思い出せない。
その、細切れを、一つ二つ思い出したのが以下ー
♪ 夢をためらう 男は哀しい・・と
グラスを傾けながら 私を見つめる
たったこれだけの言葉数が、もう何十年も記憶の滓に残っていて、
深酒をすると、ぽろり、ぽろり出てきてしまう。
(著作権の問題があり、写真画像を掲載できませんでした)
若いころ観た映画に『ローマの休日』があった。その映画のラストでの記者会見場、
記者からローマの感想を訊かれたとき、ローマを「ローム」と発音していたことをふと
思い出した。 昨夜からネットで調べていたら、その通りだった。
ローマは英語でROⅯE(ローム)、イタリア語でROMA(ローマ)。映画は米国
で作られていたから、当然「ローム」となる。
まだ、中学・高校生だったころ観た映画だったと記憶している。いい映画だった。
ブルー・ナイト・イン札幌
美学生だった若いころ、クラスに、夜はススキノで働いている女性がいた(授業中に
生アクビをしている姿を思い出す)。とても明るい性格で、クラスメイトの名前はみな
忘れているのに、彼女だけは今でもフルネームで言える。結婚されて、お子さんが二人
いる・・というところまでは噂として聞いてはいるが・・、今もお元気だろうか。
短い出会いなのに、その後に忘れられない痕跡を残す出会いもある。 もう半世紀も
前のことだ。
*
めずらしく、久しぶりに食堂で音楽を聴いていた。オーディオ機器が故障して、長い
間、音がまともに出なかったためだが、朝から本腰を入れて修理したのが功を奏した。
そんでもって、まず最初に聴いたのが、当時流行っていた流行歌『ブルーナイト・イン
札幌』。ドーナツ盤といって、直径20cmぐらいの小さなレコードだ。レコード針を
下ろすと、ノイズも含め、懐かしい音色が拡がった。
*
ドーナツ盤を購入したのは当時ではまれだった。それだけお気に入りの歌謡曲だった
んだろう。曲の出だしがいい。
♪ 津軽の海のかなた 別れて行った人に
切なく燃える想いを つめたくつつむ夜霧
さめた頬に にじむ泪 町の灯が哀しくて
ああ ブルー・ナイト・イン 札幌
ススキノの夜は更ける
女の意地がにくいと 別れて行った人よ
さそう人もいないから ひとり飲むにがい酒
心ゆする 君の言葉 想い出だけを残して
ああ ブルー・ナイト・イン 札幌
ススキノの夜は更ける
(よけいな事だが、彼女はいま、幸せな人生を
送っているだろうか・・)
今朝7時の山荘の気温:15℃、くもり。
山梨県・河口湖畔で生まれ育ったので、雪の残る富士山は子供のころから
見なれている。でもそこに白い煙が加わると、山は死んではいない息づいて
いるんだと不安になる。
初めて十勝岳の噴煙を見上げたときは、恥かしいが恐怖であった。大爆発
をいつ起こすんだろうかと。でも、この土地の人達には、そんな不安は微塵
も感じられない。多かれ少なかれ、自然と折り合いをつけてて暮らしてるん
だろう。 山は煙を出しているのが当り前・・っていうふうに。
富士山頂には測候所があり、火口の底まで所員が下りて地温を計っていた。
万が一の場合を考えると、空恐ろしい。
今朝6時の山荘の気温:15℃、小雨。
高校生の時、とても気の合う同級生がいた。いわゆる文学青年だった。会うたびに
「おまえ ** 読んだか? いいぞ、読んでみろ」と勧める。勧められるままに読んだ
一冊が夏目漱石の『門』だった。当然、彼はもう読んでいた。
平凡で退屈な夫婦の日常が描かれ、その中に、禅問答のような不可解な挿話が入り
こむ。その部分は長いけれど、以下に書き写してみた。
「・・自分は門をあけてもらいに来た。けれども門番は扉の向こう側にいて、叩いて
もついに顔さえ出してくれなかった。 ただ、『たたいてもだめだ。ひとりであけて
入れ』という声が聞こえるだけであった。〈中略〉彼自身は長く門外にたたずむべき
運命をもって生まれて来たものらしかった。(中略)けれども、どうせ通れない門
なら、わざわざそこまでたどり付くのが矛盾であった。 彼は後を顧みた。そうして
到底また元の道へ引き返す勇気を持たなかった。彼は前を眺めた。前には堅固な扉が
いつまでも展望をさえぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らない
で済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つ
べき不幸な人であった」 (以上、夏目漱石『門』より)
’ エリザベスカラー ’ という、猫の首に巻く用具がある(写真・下)。産後の
メス猫が、傷口を舐めないようにと考えられた、首に巻く用具だそうだ。
むかし、エリザベス女王(一世)が首に巻いていたのが似ていたので、その名が
ついたらしい。我が家のメス猫も、出産のとき何度もお世話になっている。
ちなみに、どうしてこんな物が、大英帝国に君臨する女王の胸元を飾るにふさわ
しいのかは知らないが(どなたか御存じなら教えてください)、女性の胸元を飾る
には真珠のネックレスのほうがふさわしいのではないかしら。
古来、日本女性は、襟元(?)胸元は何枚も重ね着して飾っている。ここは女の
チャームポイントだと自覚していたんだろうな。
生家は呉服商だったので、婦人の着物姿は子供の頃から見慣れていた。嫁いだ姉
たちが、なにか催しものがあると、実家に着物を持参して、母親に着せてもらって
いた姿を思い出す。着こなすのはやはり難しいらしい。
*
「中島みゆき」さんの唄の中に・・ ♫ 悲しみを ひとひら かじるごとに子供は
悲しいと言えない 大人に育つ・・というフレーズがある。何度聴いても、次の
歌詞がわかっていても、泣けてくる。
明日(18日)の近況報告用にと取り出しておいた写真が、我慢しきれずに
飛び出してしまった。明日はどう取り繕うか・・たまにはお休みしましょうか。
*
雨模様の空。朝から「中島みゆき」さんの歌を聴いている。同世代に生きて
いて、しかも同じ札幌の地で過ごしていたなんて、過ぎてしまったとはいえ・・
なつかしさを覚えます。
中島さんとは齢がそれほど違わない。もしかすると、大通り公園か狸小路辺り
ですれ違ったかも知れない。
当時親しくしていた女性が、よく噂話をしていた。才女は、本人が意識して
いなくても、周りの目が違っていた・・と。
今朝5時の山荘の気温:10℃、くもり~晴れ間。
猫のシュウゴ君が窓際で、尻尾を振りながら外を見ている。ネコ年齢としては
まだ若いので、青春(空想?)でもしてるんだろうか。それにしても『青春』と
いう面構えではない。尻尾の先が白いのが・・まぁ愛嬌といえば言えるけれど。
今朝5時の山荘の気温:4℃、晴れ。
同じ場所ですが、撮った視点をわずかに変えるだけで、微妙に印象が変わります。
これは、山荘にみえたお客様に教えていただいたことです。
一ヶ所にはりついて、なかなかカメラのシャッターを切ろうとしない。どうして
なんだろう? バチバチ撮って、その中から気に入ったものを選び出せばいいのにと
思いがちですが、彼等にはシャッターを押す寸前の画像が予測されている。だから
「まぁいいや、何枚か撮って、その中から気に入ったものを選び出せばいい・・」と
いうような、安易な気持ちでファインダーを覗かない。一枚一枚の写真が、自然との
格闘なんだろうね、おそらく。
*
古い話しですが(二十歳ごろ?)、アパートで同居していた職場の先輩に、描いた
絵を贈ったことがあった。結婚されるというので、なにか贈るものはないか思案して
いたら、彼が、私の描いた絵が欲しいと言う。その絵はとても暗い絵だった。
当時、夏目漱石の本をよく読んでいた。中でも『門』がとても恣意的で好きだった。
古ぼけた武家屋敷風の門の前で、男がたたずみ、この門を開けてくれと叩く。中から
門番が、鍵はかかってないから、自分の力で開けて入れと言う。でも男には、その門
を開ける力も勇気も無い。・・そうこうしているうちに、陽が陰り、暗くなる。男は
門の前でたたずみ、陽の暮れるのを待つべき不幸な人であった・・・で文章は終わる。
どうして、結婚を前にした彼がそんな暗い絵が欲しいと言ったのか、尋ねたような
気もしたが・・もう忘れてしまった。